新紙幣の肖像画(新一万円札・新五千円札・新千円札)
鎌取・おゆみ野・誉田の学習塾 大桜塾です!
いよいよ7/3から新紙幣の発行が始まりました。この紙幣の肖像画で採用される人は、歴史の授業でもよく登場するんです!
また時事問題などが出題される学校に通っている人は、今回の新紙幣で採用された肖像画の人物を必ず覚えておくと良いです。
新紙幣に関する情報は下記サイトに詳しく載っています。
それでは今回変更になった新紙幣についてそれぞれ見ていきましょう。
新一万円札
新紙幣では「渋沢栄一」が採用されました。
渋沢栄一は「近代日本経済の父」とも言われています。
埼玉県出身の実業家として活躍しました。
一橋家に仕えて幕臣となり、パリ万国博覧会幕府使節団に加わって渡欧。欧州から帰国すると、静岡に「商法会所」を設立。その後、井上馨のもと大蔵省の官僚として、造幣、戸籍、出納など、さまざまな政策立案を行い、新しい国作りに深く関わりました。その後実業家となり、日本初の銀行である第一国立銀行をはじめ、王子製紙、日本郵船、日本鉄道など約500もの会社の設立に関わり日本資本主義の発展に貢献しました。同時に約600の教育機関や社会公共事業、研究機関等の設立・支援にも尽力しました。
新五千円札
新紙幣では「津田梅子」が採用されました。
津田梅子は「日本における女子教育の先駆者」とも言われています。
東京都出身の女子教育家として活躍しました。
日本最初の女子留学生として、岩倉遣外使節に同行して渡米しました。帰国後、華族女学校・女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)の教授などを歴任。明治33年(1900年)に女子英学塾を創設し女性教育,英語教育に尽力しました。この女子英学塾が津田英学塾、津田塾専門学校と変わり、昭和23年(1948年)に津田塾大学となりました。
新千円札
新紙幣では「北里柴三郎」が採用されました。
北里柴三郎は「近代日本医学の父」とも言われています。
熊本県出身の細菌学者として活躍しました。
東京帝国大学医学部を卒業後ドイツに留学して、破傷風菌の純粋培養に成功し、抗毒素血清を作ることに成功しました。更に翌年にはジフテリアの血清にも応用しました。帰国後ペスト菌を発見し、血清療法を研究。伝染病研究所所長を務めましたがその後辞職し、自ら北里研究所を創立しました。
津田梅子と同じく、北里という名字から「北里大学」を想像する人もいるとおもいます。その北里大学は北里研究所の50周年記念事業の一環として創設されました。つまり創設者ではありませんが、北里大学の「北里」という部分は間違いなく北里柴三郎からつけられているんです。
紙幣の肖像画の移り変わり
それでは最後に各紙幣の肖像画がどう移り変わったのかを見てみましょう。
千円札
1950年:聖徳太子➡
1963年:伊藤博文➡
1984年:夏目漱石➡
2004年:野口英世➡
2024年:北里柴三郎
五千円札
1957年:聖徳太子➡
1984年:新渡戸稲造➡
2004年:樋口一葉➡
2024年:津田梅子
一万円札
1958年:聖徳太子➡
1984年:福沢諭吉➡
2004年:福沢諭吉➡
2024年:渋沢栄一
というような移り変わりとなっています。
スタートが全て聖徳太子であることも気になりますが、一番の謎は「福沢諭吉」の続投。いったい何があったんでしょう!?
また福沢諭吉が長かったせいもあり、一万円のことを「諭吉」なんて言ってる人も多いですね。
この他にも二千円札など別の金額の紙幣も発行されていますが、現在メインで使われてる紙幣はこの3種類のみとなっています。
さあ20年後にはまた新たな紙幣が登場するのか!?
それとも紙幣も硬貨もない時代になっているのか!?
気になるところではありますが、新紙幣ブームを当分は楽しんでみましょう!